取り付く島もない半端
異常とはなんだろうか。
常とは異なるという字面だけ追えば、僕は異常だが、
しかし僕と似た境遇の人は少なくないと思う。
もっとひどい人もいるだろう。
進化できなかったハエの話を思い出す。
あれは、「岸和田博士の科学的愛情」だったか?
99匹のハエに異変が起こり異常となった。
1匹残った正常なハエは考える。
大多数が異常ならそれはもう正常なのではないか。
少数の自分が異常なのではないか。
大多数に起こった異常こそが進化なのではないか。
そんな話だった気がするが、これはどうでもいい話だ。
僕は少数派だった。
概ね、少数派になりたかった事もあったし、
少数派でいたかった気もするが、
そもそもが多数派でいられない気持ちが強かった。
多数派の面々とは、自分は明らかに違う点が、子供の頃から見えていた。
ネジ曲がって率先して少数派で良い、と、納得していた気がする。
体の大きさは、そう言った相違点にはうってつけの材料だった。
小学2年生から母子家庭となり、身につけるものは”ほぼすべて”同学年の1サイズ上。
母から「お金がかかってしょうがない」と言われるたびに気持ちが黒くなった。
しかし、背の順では後ろから2番目だった。
体格だけではない。
母子家庭である
⇨でもお父さん生きてるでしょ、○○くんのお父さんは死んじゃったんだ。
貧乏である
⇨でも服は新品でしょ、☓☓君はお下がりだしトイレ紙は少年マガジンだ。
あとはなんだろう。
子供の頃から、自分と他人を比較ばかりしていた。
しかし、その内容は覚えてないものだ。
ともかくその他、あらゆることで
2番目、3番目、いつも中途半端だったようにも思える。
というのも、8歳下に弟ができるまで”過保護”に育てられた自覚はある。
それだけに(今にして思えば、子供らしいといえばそのとおりだが)
同学年との会話の端々に自分語りが多分に含まれていた。
僕はこんなに不幸なんだ!
不幸自慢をするたびに、誰かの2番目3番目だと言われて落ち込んだ。
銀メダリストのストレスだろうか。
どんなに苦しくても、辛くても、その上が1人か2人いる。
大人の耳に入れば、「だからがんばれ」いつもその一言で片付けられたこの記憶は、
ねじ曲がったものではないとは言い切れないが、
僕の思考を束縛していることには違いない。
僕は子供の頃から、今の僕が思うところの「いないほうがいい性格のやつ」だった。