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投薬としての自己紹介

2017年。今年で40歳になる。

 

2016年末で仕事は辞めた。

その仕事も2014年後半から初めた。その前は1年ほどぶらぶらしていた。

色々やってみたが、なにも得られなかったので

結果、「ぶらぶらしていた」というほかない。

仕事を辞めることは、便宜上、別居中の妻だけに伝えたあった。

妻の保険証を会社に返さなければいけなかったからだ。

 

僕が会社を辞める事は、

当時の上司と人事関連の人々と、一部の管理職は退職手続きで知り得た。

同時期に辞めていった方々は自然と知った。

僕が入社してから18人目と19人目の退職者。

職場を紹介してくれた同郷の先輩は、知っていた。

今は別の支店勤務だから、不倫相手から話を聞いて知ったのだろう。

 

その他の人々は2017年1月になってから知ったはずだ。

驚いたり、安心したり、楽しんだり、不思議がったり、合点がいったりしたと思う。

僅かに、寂しがった人もいるようには、聞こえたが。

 

人の口に戸は立てられないが、

僕は箝口令をしくのが得意だった。

社内で僕の陰口を叩くと、不思議とウマクないことが降りかかるような流れがあった。

ロジックはわからない。意図してやりきれてるわけでもない。

なんとなく、そういう空気を作る事ができた。

僕が会社を辞めるまで、たとえギリギリまで僕の隣にいても、はっきりと知れなかった人はたくさんいたと思う。

 

 

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僕には直接の血はつながっていない妹がいる。

妹には、いつか辞めるとLINEで話していた。

相談したくとも相談にならないので一方的に話した。

妹は入り口こそ話を聞く体だが、一通り聞いたふりをするとすぐさま自分の話だけを話し続けるタイプだった。妹にも余裕はないのだと納得した。

 

そもそも、ボクが『相談』とはどういうものなのかよくわかっていない。

世間一般、「相談」とはそういうものなのだろうか。

五分五分ではなく、九分九厘そういう人しか知らない。

 

一厘は僕だ。

 

僕はうっかり人の相談話を聞かされてしまった場合、

肯定的な相槌を打つことと、想像力の限りをもって、相談者に迫られた決断の、それぞれの選択肢の未来を語る事に尽くす。

関係者すべての感情と勘定を、洗いざらい想像し語る。

決して、力になったり、後押ししたり、勇気づけたり、決断させたりしない。

僕は金もなく、人脈もなく、権力もなく、時間もなく、頼りにならない。

それは相談者も知っている事だ。

 

そもそも「迷った時の相談窓口」になったことは一度あるかないかだ。

人が僕に「相談なんだけど」というとき、それは「やって欲しい事がある時」だけだ。

僕には「迷った時に話を聞いてもらいたい」と思われるほど、

深い付き合いをする人がいないのだと、今、気がついた。

 

それでも妹は一言、

「非正規でもボーナスが出るような仕事は今時、無い。辞めるべきではない。」と言っていた。

 

無理だった。

 

 

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2017年始まってからの1ヶ月、とても苦しい。

過去にも苦しんだが、行動を起こすたびに苦しさは嵩を増す。

わかっているが無理だった。

 

今日は離職前の生活時間で家を出、かつて通勤経路だった道を途中まで車を走らせ、

大きな橋を1つ越えたところで左折し、川辺に出てから釣りをした。

昼前にネットカフェに移動し、初見の漫画を2冊(2巻まで発刊済のものを)読み、昼食とネットゲームとフリードリンクで19時まで時間を潰した。

僅かに、「事故物件」を検索した。家を出たかった。

 

40手前の男が、で。

 

一応帰宅するが、駐車直後に4回、えずいた。庭を歩きながら。

ネットカフェから国道を走り抜け、部落に入り、家の駐車場にに至るまでの間に、運転席から「神楽」の看板を3回見かけた。口はずっと半開きだった。

神社の横を通り、居間の明かりがカーテンから漏れているのを見たら、吐き気が膨れ上がった。

玄関へ向かうことは止めなかった。嘔吐きながら、いつもの速度で歩いた。

吐瀉物は出なかった。

 

離れに住む叔母の車があることを横目で確認し、(1台分の駐車スペースに頭から突っ込んである軽自動車を見て、出づらくないだろうか?と頭によぎり、それでもハンドルを切り返すのが面倒くさかったんだろう、と思った)

暗い庭先から玄関の外灯が消えているのを見て、(ああ、叔母は帰ってきているから大丈夫だ)と思った。

 

なにが大丈夫なのか。

 

まだ妻がこの家にいた頃、玄関の外灯が消えていると、「夫が残業で疲れてやっとの思いで帰ってきたのに、暗くて段差のある庭に明りを灯さないのはなんの嫌がらせか」と、ストレスを感じていた事を思い出した。

 

それでも当時は外灯が点いている日は多かったが、つい最近、

玄関の外灯は常に「僕のため」ではなく、庭を横切る「叔母のため」に点けられていたものだと知った。父がそう言った。妻に外灯のスイッチを操作する権利はもともとなかったのだ。操作したところで、父が母に消させただろう。

 

父はよく「電気代」をネタに僕を詰った。

確かに僕は、家の電気代も払っていないクズだった。

 

しかし父は、自分で駐車場にセンサー付きの外灯を取り付けておいて、

室内のカーテンの隙間から見えるその明りが「少しでも長く点灯しているような気がする」と、その日の機嫌によっては、「おおう!ヘッドライト点きっぱなしだぁよ!バッテリーが上がってエンジンかかんなくなってどうすんだ!」とがなり立てる。

さらに虫の居所が悪ければ、だからお前は駄目なんだ、何にもできない犬畜生と同じだ。母親そっくりだとさえ言ってみせる。

父曰く、ヘッドライトが点きっぱなしだと、そういう人間は沢山の人に迷惑をかけ、誰からも信用されず、終いには苦しんで一人寂しく死ぬそうだ。

たとえ、ヘッドライトが点きっぱなし「ではなかった」としても、父がそう感じたのであれば、それは沢山の人に迷惑をかけ終いには苦しんで死ぬのが正解らしい。

 

父は居間にいた。

「神楽」の看板をみた。

神社の横を通った。

 

それで嘔吐いた。

 

 

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僕の父と母は、実態として知る限り、最悪の組み合わせだろう。

僕の記憶の始まりから、父と母は口論している。

たまに僕へ向けられる父と母の言葉は「命令」と「共感の強制」だけだった。

 

父は、祖父の言いなりで育った。祖父は早くに亡くなった。

父は、祖母が憎くて仕方がないと言った。母が出ていったのは祖母のせいだと言った。

父は、最終的に祖母を拒絶した。祖母は叔母が面倒をみている。

父は、「親の言葉」は「神の言葉」と言った。「絶対服従」だと言った。

 

母は、父の言いなりに成れるよう、頭を壊した。

母は、祖母にいじめられ、小学生の僕と赤ん坊だった弟を連れて家を出た。

母は、プライドが高かった。我慢ができなかった。現実を受け入れられず、頭を壊し、最終的に父の元へ戻るしかなかった。

 

現在、母は言う、

「お母さんは頭がおかしいからさぁ、難しいことはわかんないのよぉ」

「お母さんは頭がオカシイからさぁ、ハサミ持っちゃいけないって言われてるのよぉ」

「体調悪いの?病院に行ってお薬いっぱいもらってきなさい」

「寒いの?エアコンつけたら?暖房ガンガンに効かせたら寒くないよ」

 

母は、高校の頃、生徒会長を務めたことがあったらしい。

成績優秀で、社交的で、決断力と行動力があったらしい。

母方の祖母が、生前、僕に話した。

 

しかし、頭が壊れた今、正常ならざる心神と法律上も認められてる人なのに、

自ら「頭がおかしいから」と言うにもかかわらず、

常に指図がましい物言いを絶対に崩さず、常にアドバイスを与え続け、しかしどんな簡単な事も、決して自らは行動しない、関与しないスタイルから、

女生徒会長時代からも、きっと、それほど、

人から好かれる性格ではなかったのではないかと邪推する。

 

母は、思えば昔から、「いいこと思いついた。私の言うとおりにすれば必ずうまく行く。必ず言うとおりにするのです」と言ったスタンスだった。

母は金もなく、人脈もなく、権力もなく、時間もなく、頼りにならない人だった。

 

それでも母は、僕に対して絶対的に上位の存在という立場は崩さなかった。

 

なぜなら、母は既に、大変な苦労の末、僕に肉体と魂を十分に与えており、

また僕の幼少期には、文字通り身を削り金を稼ぎ、

書を与え、食を与え、衣服を与え、住処を与え、玩具を与え、

後は多大な利息付きのその見返りを待つだけの尊い存在だから。

 

初めから既に十分、頼もしい存在だったのだ。

女手一つで息子を(ある程度)育てたのだ。

 

それで十分じゃないか。大変なことだ。立派なことだ。ものすごい愛情だ。

親孝行しなさい。お前がしっかりしなきゃどうするんだ。

 

ふとした時に僕の出自を知った人はみなそう言った。それが愛なのだ、と。

 

 

しかし、あの頃、母との会話は一切なかった。